5月1日、故アイルトン・セナに敬意を込めて

皆さんはアイルトン・セナと言う人物をご存知でしょうか?

名前だけでは聞いた事あるかも、って方もいると思います。

アイルトンセナとは?

彼の本名は
アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)
1960年3月21日 – 1994年5月1日
1988年・1990年・1991年と、

3回のワールドチャンピオンを獲得したF1ドライバーです。

そして25年前の1994年5月1日、サンマリノで開催されたF1サンマリノGP決勝にて彼は不慮の事故の末、急逝しました。

 

記録だけで語れば、彼よりワールドチャンピオン獲得数の多いドライバーも何人もいます。彼の保持していた勝利数や予選ポールポジション数などの様々な記録も25年の時を得て塗り替えられてきているのも事実です。

  

 

じゃあなぜ彼は今だにF1というモータースポーツカテゴリーの中で一人だけアイコン化しているのだろうか?

記録だけでは語れない彼の魅力、強さ、生き様。

 

 

アイルトンセナのヒストリー、経歴や人物像については、詳しく特集してまとめたサイトがwikipediaをはじめたくさんありますので、そちらをどうぞ。

本ページではただただアイルトンセナの死が後世に与えた影響力の強さに迫る、セナへのトリビュート特集です。

できる限り難しい専門用語は抑えます。

なのでセナを知らない人、モータースポーツに触れたことのない人にもぜひ、

「モータースポーツ界によって神格化された男の存在」

を知ってもらえれば幸いです。

 

セナの死、その時全てが止まった・・・

フジテレビによるサンマリノグランプリノーカット中継

まずアナウンサー三宅さんや解説中の今宮純さんが揃って生中継中に泣き始める時点でまともな状況では無いのが伺えます。

日本ではちょうどF1ブーム真っ只中、セナ自身も日本へのテレビ番組にも度々出演していたので日本国民のセナへの愛着心が大きかったせいか、セナの死は日本国内では悲劇以上のセンセーショナルな捉え方をされた部分もありますね。

Wikipediaの 

アイルトンセナ  死後

にてセナの死が国内外に与えた影響が記述されてますので詳しくはこちらをどうぞ。

セナとシューマッハ、2人のチャンピオン

セナの勝利数に並んだ直後のシューマッハの会見

セナの死でシューマッハが背負ったもの

映像は2006年サンマリノGPのフジテレビ版と、2000年にミハエルシューマッハがセナの持つ通算41勝の記録に並んだ際のレース後の定例記者会見

事故当時、トップを走っていたセナをすぐ後ろ2番手にシューマッハが今にも迫るような状況でした。セナの死の直後にシューマッハも
「シューマッハが迫らなかったらセナは死ななかった」
「シューマッハがセナを殺した」
と心無い記事を書かれたり精神的に焦燥していたようですね。

 

ちなみに当時シューマッハ最大のライバル、ミカハッキネンと弟のラルフシューマッハが2位3位でレースを終え、この顔ぶれとなりました。レースの結果に伴っての偶然の組み合わせですが何か感慨深いものがありますね。ハッキネンとラルフだからこそできたこの場のフォローに優しさを感じ、心を打たれます。

 

セナが後世のドライバーに残した影響

現在のF1ドライバーでもセナファンを公言している人はたくさんいますが、中でも現役F1ドライバー最強の称号を手に入れているルイスハミルトンは別格。

彼のセナ好きはF1ファンの中では有名ですよね。

彼は最近のセナに関してのインタビュー中にも「アイルトンは常に唯一の存在で、彼だけの特別な領域にいる」とし、「彼は、子供の頃に私をインスパイアしたドライバーであり、今もこれからもずっとヒーローだ」と語っています。

そして運命とも言うべきなのかアイルトン・セナの通算65回のポールポジション記録を塗り替えたのはルイスハミルトンです。

最後に・・セナの死に隠れてしまった一人の男

彼の死の裏側でもう一人の男が同じレースウィークにイモラサーキットで命を落としている事はあまり知られていません。

その男の名前はローランド・ラッツェンバーガー

念願のF1のシートを獲得したばかりでしたがセナの死の前日、予選アタック中にフロントウイングが脱落しコントロールを失うという不慮の事故で命を落としました。

 

 

セナと共にローランドに哀悼の意を捧げます。

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